ソマティック・エクスペリエンシング™︎
各々が取り組めるソマティックエクスペリエンシング™︎
ソマティック・エクスペリエンシング(SE)は、心理学者ピーター・A・ラヴィン博士によって開発された、トラウマやストレスによる身体(ソマ)への影響に焦点を当てたアプローチです。感情の「解放」とは、体内に固着した過剰なエネルギー(闘争・逃走・フリーズ反応)を、安全で段階的な方法で解放し、神経系を自己調整できる状態に戻すことを目指します。
一人で行う際には、**「小さく、ゆっくりと、安全に」**を原則とします。
1. 安全基盤の確立:グラウンディングとオリエンティング
感情の解放を始める前に、まず「今、ここ」の身体と環境に安全に繋がることが不可欠です。これは、神経系に「私は安全だ」というシグナルを送る土台作りです。
1.1. グラウンディング(接地)
グラウンディングは、体の一部を地面や椅子などの安定した支持体に意識的に接続し、安心感を得る方法です。
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足の裏のグラウンディング:
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両足を床にしっかりとつけます(裸足か薄い靴下、または底の薄い靴が理想)。
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目を閉じるか、視線を下げて、足の裏全体が床に触れている感覚に注意を向けます。
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特に、かかと、親指の付け根、小指の付け根の三点が床にしっかりと「根を張っている」感覚を意識します。
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「地球が私を支えてくれている」というイメージを持ち、体から余分な緊張やエネルギーが足を通じて地面に流れていくのを想像します。
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足の重み、床の硬さ、温度など、具体的な身体感覚に集中します。
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椅子のグラウンディング:
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座っている場合、お尻と太ももが椅子に触れている感覚に意識を向けます。
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椅子の感触、硬さ、座面の広さ、体がどのように支えられているかを詳細に感じ取ります。
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深い安心感と、支持されている感覚を味わいます。
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1.2. オリエンティング(定位)
オリエンティングは、動物が危険がないか周囲を確認するように、意識的に環境に注意を向ける行為です。これにより、トラウマ反応で内側にこもりやすい意識を外に向け、**「今、安全な現実の中にいる」**ことを神経系に再確認させます。
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頭をゆっくりと左右に動かし、安全だと感じる対象や、目にとって心地よい対象(例:植物、写真、窓の外の風景など)をいくつか選びます。
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その対象を一つずつ、ゆっくりと、好奇心を持って観察します。形、色、光沢、質感など、詳細に注意を向けます。
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観察するたびに、体の中で起こるわずかな変化(例:肩の力が抜ける、呼吸が深くなる、目の奥の緊張が和らぐなど)を意識します。
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このプロセスを数回繰り返すことで、視覚を通じて安心感を高め、**「ここには危険がない」**という情報を脳に送ります。
2. SEの核:フェルトセンス(Felt Sense)のトラッキング
SEの中心は、感情を言葉や思考で処理するのではなく、体で感じ取ることです。感情は体内に具体的な感覚(フェルトセンス)として存在します。これを「トラッキング(追跡)」し、動き出すのを許します。
2.1. スケールで感覚を測る(SUD/POS)
強い感情や不快な身体感覚(例:胸の圧迫感、胃のムカつき、肩の緊張など)を扱う際、その強度を測ることで、感情に圧倒されるのを防ぎます。
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SUD (Subjective Units of Distress): 不快感のレベルを**0(全くない)から10(耐えられないほど強い)**で評価します。
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POS (Positive Orientation Scale): 安心感や心地よさのレベルを**0(全くない)から10(最高の心地よさ)**で評価します。
感情のトラッキングを始める前に、まずSUDを測り、7以上の場合は、より安全で穏やかな方法(グラウンディングや資源化)に戻り、感情に直接触れるのを避けます。5以下の時に、次のステップに進みます。
2.2. 感覚のトラッキングと記述
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安全で心地よい場所(例:手のひらの温かさ、足の重み、椅子の柔らかさなど)を最初に感じます(資源化)。
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意識を、少し不快な、あるいは「気になる」と感じる身体の部分にごく短時間向けます(例:喉のつかえ、腹部の緊張)。
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その感覚を分析せず、純粋な「感覚」として記述します(「これは怒りだ」とラベル付けしない)。
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場所: どこにあるか?(例:胸の中心、右肩甲骨の下)
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形: どんな形か?(例:トゲトゲした球、平らな板、流れる液体)
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質感・性質: どんな感触か?(例:熱い、冷たい、重い、チクチクする、締め付けられる、ズキズキする)
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動き: 動いているか、静止しているか?(例:脈打っている、震えている、膨らんでいる、収縮している)
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その感覚をそのまま見つめます。ただそこに存在することを許します。少しでも強くなりすぎたら、すぐに意識を**安全で心地よい場所(資源)**に戻し、そこでしばらく落ち着かせます。
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再び、不快な感覚に少しだけ戻り、わずかな変化(例:少し軽くなった、形が変わった、場所が移動した)を観察します。
この不快な感覚と心地よい感覚の間を「行ったり来たり」すること(ティトレーション – Titration)がSEの鍵です。これにより、神経系は「不快な感情に触れても、完全に圧倒されることはない」と学習し、少しずつ固着したエネルギーが自然に解放される(ディスチャージ – Discharge)のを促します。
2.3. ディスチャージの観察
解放が起こる時、体には非常に自然な、動物的な反応が現れます。これが感情エネルギーの「ディスチャージ」です。
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観察すべきディスチャージのサイン:
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軽い震えや細かな振動(特に手足、唇)
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深いため息、あくび、しゃっくり
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胃腸の動き(ゴロゴロ鳴る、おなら、ゲップ)
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皮膚の温度変化(熱くなる、冷たくなる)
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涙(悲しみだけでなく、緊張の緩和によるものもある)
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汗
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これらの現象が現れたら、止めずに、そのまま起こるに任せます。「良し」「悪し」の判断をせず、ただ観察し、体が調整しようとしているプロセスを尊重します。
3. 未完の行動(Unfinished Business)の許容
トラウマや強いストレス下では、体が完了できなかった「闘争」や「逃走」の行動が、未完了のエネルギーとして体内に留まります。感情を解放するためには、この未完了の行動に象徴的に動きを与えることが有効です。
3.1. 身体の衝動を追跡する
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トラッキング(2.2)によって、不快な感覚を感じている時に、その部分の周りや体全体で**「動きたい」という衝動**がないか注意深く探します。
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例:「腕を上げたい」「足を蹴りたい」「体を丸めたい」「首を振りたい」など。
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衝動が見つかったら、非常にゆっくりと、その動きを始めます。実際に大きな動きをする必要はなく、**「その動きをしようとする意図」や、「わずかに筋肉に力が入る感覚」**を追跡するだけで十分です。
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その動きをすることによって、身体感覚がどのように変化するかを観察します。例えば、「蹴りたい衝動を少しだけ試すと、足の緊張が少し緩む」など。
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完了したと感じるまで、その動きの「感覚」を繰り返します。
3.2. 境界線(Boundaries)の練習
多くのトラウマや不快な感情は、境界線を破られた経験と関連しています。一人で行う際、安全な空間で「境界線を守る」行為を試すことが、体内のフリーズ(凍りつき)反応を解放するのに役立ちます。
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目の前に、不快な感情や、その感情を引き起こした出来事を象徴する「何か」を想定します(例:椅子、想像上の人物)。
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両腕をゆっくりと前に伸ばし、手のひらで**「ここまで」「入ってこないで」という非言語的な境界線**を示す動きをします。
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この動きをしている時の腕や手のひらの力強さ、体幹の安定感を意識的に感じます。
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腕を動かすことによって、体にどのような力が湧いてくるか(例:背筋が伸びる、声が出そうになる、足に力がはいる)を観察し、その「力」を感じ切ります。
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これが「闘争」のエネルギーの安全な解放につながります。
4. 資源化(Resourcing)の強化
SEにおける「資源(Resource)」とは、安心感、強さ、心地よさ、能力、楽しさなど、ポジティブな感覚や感情をもたらすあらゆる内面・外面の源泉です。解放プロセスで感情に圧倒されないように、資源を常に利用できるようにします。
4.1. 内的資源:ポジティブな記憶の利用
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**「完全に安全で、心地よく、リラックスできた」**と心から感じる過去の瞬間を思い浮かべます(例:好きな人と過ごした時間、自然の中にいた時、大きな達成感を得た時など)。
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その記憶の**視覚、音、匂い、そして最も重要な「その時の身体感覚」**を詳細に思い出します。
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特に、その時の体に起こっていたポジティブなフェルトセンス(例:胸の広がり、体の軽さ、顔の筋肉の緩み、暖かい感覚)に焦点を当て、その感覚を今の体に「インストール」するよう意識します。
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この感覚を意識的に1〜2分味わうことで、神経系のリラックスモード(副交感神経優位)を強化します。
4.2. 外的資源:サポートシステムの利用
感情の解放を一人で行うとはいえ、完全に一人ではないという感覚を持つことが安全につながります。
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サポートしてくれる人々の写真を見る、あるいはその人たちが自分を見守ってくれているイメージを持つ。
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好きな毛布、心地よい服、安全な香りのアロマなど、感覚を落ち着かせる外部のアイテム(トランジショナル・オブジェクト)を近くに置く。
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**自然の音(鳥のさえずり、波の音など)**を聴く。
5. 感情の「統合」と結論付け
感情の解放プロセスは、常に「完了」と「結論付け」で安全に終わらせる必要があります。
5.1. 変化の確認(POSの再評価)
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プロセスを終える前に、最初に測ったSUD(不快度)とPOS(心地よさ)を再度測ります。
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**わずかでもSUDが下がり、POSが上がっていれば、それは成功です。**神経系は自らを調整しました。
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「ああ、私の体は、ちゃんと変化することができるんだ」という肯定的な認識(自己効力感)を持ちます。
5.2. 境界線の再確立と感謝
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もう一度グラウンディングとオリエンティング(1章)を行い、「今、ここ」の安全な現実に戻ります。
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両手を体に当て(例:胸と腹部)、**「よく頑張ったね」「安全だよ」**と自分に語りかけ、身体と神経系の働きに感謝の意を伝えます。
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これにより、プロセス中に揺れたエネルギーを体に安定して統合させます。
⚠️ 自己調整のための重要な注意点
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ティトレーション(Titration)の厳守: 常に「小さく、ゆっくりと」進めます。感情や身体感覚がSUDスケールで7以上になったら、直ちにグラウンディングや資源化に戻り、安心できる感覚を復活させます。強い感情に無理に飛び込もうとしないこと。
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ペンデュレーション(Pendulation)の意識: 不快な感覚(トラウマ)と心地よい感覚(資源)の間を、常に意識的に行ったり来たりすることを続けます。
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フリーズ反応の尊重: もし体が動けなくなったり、感覚が麻痺したり(フリーズ)したら、無理に動こうとせず、ただその静止状態を観察し、安全だと感じるまでグラウンディングを続けます。
このアプローチは、感情の「爆発的な解放」ではなく、神経系を安定させながら少しずつ緊張を溶かしていくという、SEに基づく安全な自己調整の道筋です。ご自身のペースで、優しく、慎重に取り組んでみてください。